代表のつぶやき | より美しく、住み継ぐ | 株式会社長崎材木店一級建築士事務所 | 福岡県注文住宅 https://www.nagasakizaimokuten.co.jp 福岡県で木の家やお洒落なデザイン住宅、平屋、ガレージハウスなどの注文住宅を設計・施工している会社です。設計士が直接対応し、理想の家づくりを一緒に進める福岡の設計事務所兼工務店。あなたの想いを形にする、唯一無二の住まいを提供する会社です。 Sun, 16 Nov 2025 03:44:06 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.8.3 157306326 佇まい https://www.nagasakizaimokuten.co.jp/captains_tweet/%e4%bd%87%e3%81%be%e3%81%84/ Sat, 15 Nov 2025 03:51:28 +0000 https://www.nagasakizaimokuten.co.jp/?post_type=captains_tweet&p=14155 いい建築というのは、「ああ、いい佇まいだな」と、 思わず胸の奥でつぶやいてしまう建物のことだ。 ふと足を止めた瞬間、言葉より先に心が先走り、口の端から漏れるような一言だ。 派手な意匠も、声高な主張もいらない。 朝の光を受 […]

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いい建築というのは、「ああ、いい佇まいだな」と、
思わず胸の奥でつぶやいてしまう建物のことだ。
ふと足を止めた瞬間、言葉より先に心が先走り、口の端から漏れるような一言だ。

派手な意匠も、声高な主張もいらない。
朝の光を受けて静かに立つ姿、夕暮れに溶け込む影の柔らかさ、雨の日にしっとりと息づく木の匂い。
そういうものが、黙って家の価値を語っている。

昔、旅先で見かけた小さな家を思い出す。
特別なものは何もないのに、風景の一部として、そこにあるのが自然だった。
人の暮らしの匂いが、そっと滲んでいた。
ああいう建築は、時間に磨かれていく。
歳月が味方につくのだ。

いい建築とは、そういうものだと思う。
住む人の気配が重なり、手入れの跡が静かに残り、季節の光がそっと寄り添う。
そして、ある日ふと誰かが足を止めて言う。

——「ああ、いい佇まいだな」と。

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暮らしの自由宣言  https://www.nagasakizaimokuten.co.jp/captains_tweet/%e6%9a%ae%e3%82%89%e3%81%97%e3%81%ae%e8%87%aa%e7%94%b1%e5%ae%a3%e8%a8%80%e3%80%80%e3%82%ab%e3%83%bc%e3%83%86%e3%83%b3%e3%81%ae%e3%81%aa%e3%81%84%e5%ae%b6/ Fri, 07 Nov 2025 16:32:37 +0000 https://www.nagasakizaimokuten.co.jp/?post_type=captains_tweet&p=13747 カーテンが閉まったままの家に、自由はあるだろうか。 朝の散歩で、新築の家を見かけることがある。 外観は整い、今時の、最新式の家である。 しかし、窓には一日中カーテンがかかったまま。 その光景を見るたびに、私は心の中でつぶ […]

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カーテンが閉まったままの家に、自由はあるだろうか。

朝の散歩で、新築の家を見かけることがある。
外観は整い、今時の、最新式の家である。
しかし、窓には一日中カーテンがかかったまま。

その光景を見るたびに、私は心の中でつぶやく。

――そもそも、窓とは?カーテンとは?
多くの人は、
「窓にはカーテンを付けるものだ」
「南側には大きな掃き出し窓をつくるものだ」
という固定概念に縛られている。

だが、道路や隣家が近い敷地では、結局こうなる。

一日中、カーテンを閉めっぱなし。

光は遮られ、視線は止まり、室内空間は狭く見える。
せっかくの透明な窓が「ただの壁」になってしまっている。

カーテンが美しく感じられるのは
開け放たれた窓辺の風にたなびくレースの影ぐらいであろう。

窓に必要なのは、布ではなく、光と抜けだ。

■ カーテンがいらない家は、設計でつくられる

視線が気になる。
室内が見えるのが不安。

――それらはカーテンで隠す問題ではない。

マンションやアパートならいざ知らず
設計の力で最初から消しておくべき問題だ。

先述のように多くの人は「窓にはカーテン」「南側には大きな掃き出し窓」という固定概念を持っている。
だが、道路や隣家に近い場合、結局はずっと閉じたままではないだろうか。

カーテンが閉まり、視線が布で止まると、空間は途端に狭く見える。
どれだけ大きな窓でも、布一枚で世界は閉ざされてしまう。

窓に必要なのは光と抜けであり、開放感だ。

■ カーテンがいらない家は「設計」でつくられる

視線や光が気になる理由は、「設計」で解消できる。

例えば――

南側には掃き出し窓二つという固定概念を捨て、
プライバシーも保ちつつも景色の抜ける方を設計の意思で目一杯開ける。

敷地をしっかり読み解き視線の抜けを意識した設計を行う。

隣家の窓の位置も設計に落とし込む。

遠くが見通せるところに窓を設ける。

高窓(ハイサイドライト)
 視線が通らず、空と光だけが部屋に入る。

木製ルーバー
 視線を遮りながら、風と光を通す。

ピクチャーウィンドウ
 外の景色を額縁のように切り取り、見せたい景色だけ意図的にみせ部屋に広がりを生む。

植栽や外構の計画
 視線を窓の手前ではなく、敷地の外側で止める。

こうした設計を最初から行えば、
カーテンはそもそも必要なくなる。

不安をカーテンという布で覆うのではなく、建築の力で解決する。

余計なものを足すのではなく、
余計な景色を設計の力で「消す」。

それがカーテンレス設計の本質だ。

そもそも敷地の環境も考慮せず南側には大きな窓。南側道路の敷地は最高。
という固定概念からこの問題は起こる。

■ カーテンレスの空間は広く美しく見える

カーテンがないと、視線が外へ抜け

結果として、

部屋が実際よりも広く感じられる

開口部がスッキリと見え、インテリアの質が上がる

光と影が美しく入り、暮らしに表情が生まれる

特に両サイドに布が残るカーテンは、開口部をだらしなく見せてしまう。

ロールスクリーンも悪くはない。
しかし、私がすすめたいのはブラインドだ。

必要な時だけ使い、普段は消えている存在になる

光の方向をコントロールできる

風を通しながら視線を遮れる

カーテンは「隠すための道具」
ブラインドは**「光や風を操る道具」**

窓はただの開口ではなく、
光や風や景色をデザインする装置。

■ 家づくりは「足す」より「引く」で完成する

家を美しくするのは、過剰な装飾ではない。

必要のないものを置かない勇気

余白を残す潔さ

それが空間に品格を与える。

「窓を、カーテンから解放しましょう。」

そう言い切れる設計は、思想である。
暮らしを信じる姿勢である。

私は、そういう窓が好きだ。

■ 最後に:カーテンは「最後の手段」であればいい

もちろん、暮らし方は人それぞれだ。
カーテンを全否定したいわけではない。

ただ、

設計の力で解決できる問題を、カーテンという布に任せない。

そんな家づくりが理想である。

あなたの家の窓は、
光を迎え入れているだろうか。
それとも、不安を布で覆っているだろうか。

家づくりの相談では、遠慮なく聞いてほしい。
「カーテンのいらない家ってできますか?」と。

その質問こそが、暮らしの自由の第一歩になる。

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「設計デザインに関する考察」 https://www.nagasakizaimokuten.co.jp/captains_tweet/%e3%80%8c%e8%a8%ad%e8%a8%88%e3%83%87%e3%82%b6%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%81%ab%e9%96%a2%e3%81%99%e3%82%8b%e8%80%83%e5%af%9f%e3%80%8d/ Thu, 06 Nov 2025 18:53:09 +0000 https://www.nagasakizaimokuten.co.jp/?post_type=captains_tweet&p=13759 「設計デザインに関する考察」                                         2025 11 7 長崎秀人 設計とは、単に図面を引く作業でも、見栄えを整える技術でもない。設計とは問題を解決 […]

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「設計デザインに関する考察」
                                        2025 11 7 長崎秀人

設計とは、単に図面を引く作業でも、見栄えを整える技術でもない。設計とは問題を解決する力であり、人のために考え、人の想いを形にする行為。そこには必ず「気遣い」という姿勢が求められる。気遣いができない人に設計はできない。建物でも、製品でも、空間でも、そこに関わる人の気持ちを想像し、その人が何を求め、何に困り、どんな瞬間に心が動くのかを感じ取る必要がある。

「この人はこうしたいのだろうな」「こうしてあげたほうがいいかな」と相手の立場で考える感覚、それこそが設計の出発点。与えられた要望をそのまま形にするだけではなく、その奥に潜む意図や本当の願いを読み取る。つまり、言葉にされない“気配”を察する心。それを感じ取る力があるほど、設計は深みを増し、人の心に響くものとなる。

また、デザインとは、単に体裁を整えることではなく、課題をより良くする行為である。今ある状態を少しでも快適に、美しく、意味のあるものへと変えていく。その過程には多くのやり取りがあり、思いやりや想像力が求められる。良いデザインは人を笑顔にし、空間に穏やかさをもたらし、使う人の心まで変える力を持っている。

だからこそ、設計もデザインも人を中心に考えるべき仕事である。数字や見栄えを整える前に、人の温度を感じ取り、その心の奥にある動機を理解することから始める。それが、本当の意味での“設計する”ということなのだと思う。設計とは技術だけでなく、人としての感受性を磨く営みなのである。技術や知識だけに依存するものではなく、人の気持ちを読み取る感受性、気配り、そしてより良い社会を追求する創造性が基本となる。

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土地が人をつくる ― どこに住むか ― https://www.nagasakizaimokuten.co.jp/captains_tweet/%e5%9c%9f%e5%9c%b0%e3%81%8c%e4%ba%ba%e3%82%92%e3%81%a4%e3%81%8f%e3%82%8b-%e2%80%95-%e3%81%a9%e3%81%93%e3%81%ab%e4%bd%8f%e3%82%80%e3%81%8b-%e2%80%95/ Fri, 31 Oct 2025 18:54:32 +0000 https://www.nagasakizaimokuten.co.jp/?post_type=captains_tweet&p=13730 土地が人をつくる ― 都市と地方のあいだで ― 海に近い私の地元の朝は、潮の香りがする。 夜の湿り気を含んだ風が通り抜け、東の空がわずかに明るむ。 その匂いを吸い込むたびに、「この土地に生かされている」と感じる。 人生を […]

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土地が人をつくる ― 都市と地方のあいだで ―

海に近い私の地元の朝は、潮の香りがする。
夜の湿り気を含んだ風が通り抜け、東の空がわずかに明るむ。
その匂いを吸い込むたびに、「この土地に生かされている」と感じる。

人生を変えたいなら、「住む場所」を変える。
よく聞く言葉だが、建築を生業としてきた私には、それが真理に近いと思える。
人間関係も、仕事の質も、心の状態も、結局は“どんな土地に身を置くか”で決まっていく。

朝にどんな光を浴び、どんな人とすれ違い、どんな音を聞くか。
その積み重ねが、思考と感情を少しずつ組み替えていく。
私はその“環境の力”を、数えきれない現場で見てきた。

街と田舎。どちらが正しいという話ではない。
街には「刺激と変化」があり、田舎には「静けさと持続」がある。
若い頃は前者に惹かれ、歳を重ねるほど後者に戻っていく――それは人の自然な流れだろう。

街は成長の舞台だ。多様な価値観が交差し、努力の速度を上げてくれる。
満員電車さえも、ある種のエネルギーの場になる。
競争と混沌の中で、自分の軸を磨くにはうってつけだ。

一方で田舎は、整える場所だ。
音が少なく、時間はゆっくり流れる。
風や鳥の声が、心の奥に“余白”をつくる。
その静けさが、次の挑戦への力を育ててくれる。

今のようにネットが発達した現代では、
街にいても田舎にいても、仕事の上でのハンディキャップはほとんどない。
どこにいても学び、発信し、誰かとつながることができる。

だからこそ問われるのは、「環境の質」だ。
通勤の便ではなく、思考の深さ。
情報の多さではなく、感情の静けさ。

街にいながら自然のリズムを感じる人もいれば、
田舎にいながら挑戦の風を感じる人もいる。
結局のところ、どこに住むかよりも、どんな姿勢でその土地に向き合うか。
それが、いまの時代の“住まい方”だと思う。

家づくりの打ち合わせで「どんな家を建てたいか」と尋ねると、
多くの人は間取りやデザインを語る。
しかし本当に確かめたいのは、「どんな環境の中で生きたいか」だ。

朝日が射す街か、夕暮れが美しい里か。
山の陰影に包まれるのか、街の明かりに励まされるのか。
その選択が、人生の感情の“温度”を決めていく。

街の空気で育った人と、自然の風で育った人では、
同じ言葉を話しても、心の底に流れるリズムが違う。
それが“根”となる。

家づくりとは、土地と自分の未来の“調和点”を見つけること。
朝の光の角度、風の抜け、窓の向こうの景色。
それらを整えることは、暮らしの質を整えることだ。
住まいとは、環境を設計する行為であり、人生を設計する行為でもある。

「どこに住むか」という問いは、「どう生きたいか」という問いと同じだ。
都市に住むなら何を掴むのか。地方に住むなら何を守るのか。
その見極め自体が、人生のデザインになる。

人は環境に育てられる。
だから、住む場所を選び直すことは、人生を設計し直すことに等しい。

家は暮らしを包む器であり、土地は心を育てる土壌。
人は環境に似てくる。
ゆえに――どこに住むかは、どんな人間になりたいかを決める行為である。

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捨てるということ https://www.nagasakizaimokuten.co.jp/captains_tweet/%e6%8d%a8%e3%81%a6%e3%82%8b%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e3%81%93%e3%81%a8-%e2%80%95-%e7%a9%ba%e9%96%93%e3%81%a8%e5%bf%83%e3%81%ae%e8%a8%ad%e8%a8%88-%e2%80%95/ Thu, 30 Oct 2025 21:14:50 +0000 https://www.nagasakizaimokuten.co.jp/?post_type=captains_tweet&p=13723 捨てるということ 部屋を見れば、その人の心の状態が分かる。 捨てられないものがあるなら、それは過去に囚われている証拠だ。 長く建築に携わってきたが、暮らしの空間を見れば、その人の生き方が見えてくる。 散らかった部屋ほど心 […]

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捨てるということ

部屋を見れば、その人の心の状態が分かる。
捨てられないものがあるなら、それは過去に囚われている証拠だ。
長く建築に携わってきたが、暮らしの空間を見れば、その人の生き方が見えてくる。
散らかった部屋ほど心は乱れ、整った空間ほど人の呼吸は穏やかである。
片付けとは、ものを動かす作業ではなく、心の整理である。

人間の脳は秩序を求めるようにできている。
目に入る情報が多すぎれば、心は混乱し、判断力は鈍る。
机の上に昨日の書類が残るたび、意識の奥で小さなため息をつく。
それが積もると、気づかぬうちに“やる気”は削られていく。
私はそれを「静かな自己消耗」と呼んでいる。
整えることは、思考の再生であり、暮らしの再構築なのだ。

朝の清掃という設計

毎朝の習慣がある。
まだ街が目を覚ます前に、箒を握り家の周りを一巡する。
落ち葉を集め、砂を払う。
風の向き、土の湿り、朝の匂い。
箒を動かすたび、家の呼吸を感じる。

清掃とは、汚れを取ることではない。
自分の内側を清める行為であり、今日という日を迎えるための儀式である。
神社の朝のお祓い(はらい)のように、掃除の音は静かに空間を整えていく。
埃が消えると光が澄み、陰翳が美しく戻る。
同じ家なのに、空間が息を吹き返す。
整ったのは部屋ではなく、自分の心だ。

設計も同じである。
整えるとは、線を揃えることではない。
余計なためらいを捨て、“流れ”を整えること。
風の通り、光の筋、人の動き、そして心の動線。
そのすべてが自然に連なったとき、空間は初めて美しく呼吸する。

禅寺の庭が教えること

京都の禅寺の庭を歩くたび、「整える」という言葉の本当の意味を思い知らされる。
龍安寺の石庭。
十五の石が置かれただけの、静寂の庭。
そこには何もないようで、すべてがある。

砂に描かれた一本の線、石の角度のわずかな違い――
それが全体の調和を決めている。
庭師は石を動かさない。だが、砂の線は毎朝引き直す。
昨日の線は、今日の風と心には響かないからだ。

整えるとは、止めることではない。
絶えず変化する中で、調和を保ち続けること。
それは、空間を整える者の姿勢でもある。
建築とは、形をつくることではなく、流れと静けさをつくること。
禅寺の庭が千年の風に耐えてなお美しいのは、
その中に“人の手”と“心の静けさ”があるからであろう。

日本に息づく「少なさの美学」

日本文化は、もともと“少なさ”の中に美を見いだしてきた。
茶室、書、俳句、建築――どれも余白が美を引き立てている。
光と影、静けさと調和、そのわずかな差異にこそ心が動く。

詫び寂びとは、単なる古風な趣ではない。
手放す勇気の象徴である。
少ないからこそ見える世界。
それが、本来の日本人の豊かさだった。

“足りない”のではなく、“満ちている”という感性。
その価値観こそが、今の時代にもう一度見直されるべきだと思う。
捨てることは、欠落ではなく再生。
少なさの中に、豊かさの余韻がある。

余白の美と流れの設計

日本の建築は、余白の文化である。
床の間、縁側、障子の陰――
何も置かない空間にこそ、光が宿り、風が舞う。

現代の家は、便利さの名のもとに様々なものを詰め込みすぎている。
収納を満たし、壁を飾り、情報で埋め尽くす。
だが、本当の豊かさとは、“何もないこと”を恐れない強さだと思う。
余白とは、空虚ではなく“受け入れる力”である。

建築においても、人の生き方においても、
足し算よりも引き算の方が難しい。
引く勇気、捨てる覚悟、残す判断。
それらの積み重ねが、空間の品格をつくる。
本当に美しい家は、何を加えたかではなく、
何を手放したかで決まるのだ。

整えるという祈り

設計に関わる者として思う。
整った空間は、美しい以前に“やさしい”。
そこに住む人の呼吸を受け止め、暮らしの時間を静かに支える。
だからこそ、家は“心の器”でなければならない。

部屋を整え、心を整え、朝を整える。
それができる人は、暮らしの中に一本の軸を持っている。
建築とは、その軸をそっと支える仕事だ。

禅寺の庭を掃く僧のように、
余計なためらいを捨て、図面を整え、心を整え、空間を整えていく。
捨てるとは、祈りのようなもの。
繰り返し、磨き続け、やがて自分自身が整っていく。

家とは、ただ住むための場所ではない。
心を映し、静けさを取り戻すための“場所”である。
私はそう信じている。

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